「当たり前」が実は、「当たり前」ではなくなる。
そんなことを感じることが、最近多いのではないだろうか。
友達と気兼ねなく会う。
好きなアーティストのライブに行って、大声で歌う。
お休みに旅行にでかける。
今までの「普通だったこと」ができなくなって、価値観が揺らぎ、
「どうすることが正しいのか」が分からなくなる。
でも、その中でも、新しい「当たり前の選択」をして進んでいく。
そんな流れの中に、私達はいると思う。
今日ご紹介するワインも、ある出来事によって大きく舵をきって今の形になった。
フランス・ボルドー地方。ジロンド河を挟んで、有名なシャトーがひしめくメドックの対岸にあるワイン産地ブライの地に1895年から続くシャトー・ペイボノム・レ・トゥール。
シャトーは17世紀に建てられ、お城のような塔からは全体を見渡すことができる。現在ここを取り仕切るのは、5代目オーナーであり醸造家でもあるジャン・リュック・ユベール。曽祖父の代から続くこのシャトーで生まれ育ち、ワイン造りも父親から全て教えてもらった、というとても小さな、いわゆる家族経営ワイナリーだ。
そんな歴史あるワイナリーの全てを一夜で変えてしまうような出来事が起こった。
1999年12月27日の夜、この一帯を嵐が襲った。
嵐は時速200kmまでの風を吹かせ、多くの木を根こそぎにし、家の屋根や塔さえも破壊した。ジャン・リュック曰く、「世界の終わりのような一夜」だったそうだ。
家族全員で風の遠鳴りを聞いていたときに、彼はこう考えていた。
「自然に逆らってはいけないんだ」
その時のことを振り返って、彼はこう言う。
「畑や森に大きな被害があったあの夜、漠然とだけど、変わらなきゃいけないと強く感じたんだ。温暖化などの環境問題を考えて、例えば化学肥料とか、そういうものはやはり良くないんだな、と。自分の価値観を変えさせられた、そんな出来事だったんだよ」。
それからの彼の行動が凄かった。
所有する2つのブドウ畑を、この頃のボルドーではまだほとんど誰も行っていなかった有機栽培に転換し、ビオディナミ農法を行うことを、嵐の直撃からたった1週間後に決めたのだ。2000年1月3日のことだった。
想像してほしい。
自分が今まで先祖から代々受け継いで守ってきたものが、一瞬で根こそぎダメになる、ということがどれだけショックなことか。この話をきいた時、自分だったらどうしただろう、と想像してみた。私だったら、きっとまだ、ベッドの中で悲しみに暮れて動けていないだろうし、嘆くばかりで、まさか周りでほぼ誰もやっていない新しいことに挑戦しようなんて、絶対思いついてもいないだろう。
有機栽培に転換することで、環境やライフスタイルに良い影響があったことはもちろん、ブドウにも良い影響がもたらされた、とジャン・リュック。 「有機栽培に転換してから、土が全く別物になった。以前は土の匂いなど無かったのだけれど、今は匂いがある。土の中にはたくさんの生き物がいて、土が生き生きとしているのが分かる。土の生態を乱さないよう、表面の5~10センチ程度しか耕さないんだ。もちろん、薬が使えないからとても手間がかかるし、大変だけどね」。
ワイナリーという言葉を聞くと、ブドウ畑や醸造施設のみをイメージしがちだが、彼らが大切にしているのは「ブドウ畑を取り巻く環境すべてを考慮すること」。
ユベール家では、森林、果樹、昆虫や動植物、人が植えた垣根や建物、多くの生き物と人との関わり合いを大切にしている。この考えはジャン・リュックの二人の子どもであるギヨームとレイチェルも共感し、今は6代目として醸造も行っている。若い彼らならではのユニークな発想で、既成概念に囚われない新しいワインも最近どんどんリリースされているので、また違う機会でご紹介したい。
2003年には、ビオディナミの先駆者 ニコラ・ジョリー(※注1)氏が設立した団体『ルネッサンス・デ・アペラシオン』に参加。これは、あのニコラ氏にそのワイン造りを認められている、ということの証でもある。
もちろん、この変革は容易なものではなかっただろう。湿気や雨の多いボルドーは、有機栽培やビオディナミ農法でワインを造るのはとても難しく、90年代後半に実践しているシャトーはほとんどなかった。ジャン・リュックが今の造りを始めた時も、周囲の生産者は「あいつはクレイジーな奴だ」と言っていたそうだ。
だが、時代は変わり、今やボルドーを代表する銘醸シャトーが相次いで品質向上のために、ビオディナミ農法に転換している。例えばシャトー・パルメや シャトー・モンローズ 、そして2010年がワイン評価誌にて100点満点を獲得したシャトー・ポンテ・カネ(2004年に転換)。それを見て今、ジャン・リュックは「周りから変だと思われていた、俺の選択は正しかった」と改めて確信している。
さて、このワインを久しぶりに飲んでみた。
まずグラスのワインの香りを、目をつぶって追っていく。プルーンやブラックベリーのような完熟した黒い果実と、すぐりのような赤果実の香り、その奥に、ドライハーブやスパイスのアロマを感じることができる。
どことなくスモーキーで、凝縮していながらも、厚ぼったくなく清涼感があるアロマだ。
口に含むと、豊かにある細かいタンニンがキュッと舌を締め付けた後、完熟した果実の風味、最後にフレッシュな酸が来る。口内に残る香りの中には、なめし皮のようなアロマがあり、ワインに複雑さを与えている。
完熟した果実の風味は豊かなのに、酸がたっぷりあること、そしてほんのりビターな感じもして、なんとも大人っぽい味わいだ。ドライクランベリーが入ったビターチョコ、のようなイメージ、と言えば伝わるだろうか。
テイスティングした2018年は、ボルドーの当たり年。ヴィンテージの恩恵と、彼らの丁寧なワイン造りが遺憾なく発揮された非常にバランスのよい複雑な味わいで、この品質がこの価格で飲めることに改めて驚かされるとともに、あの嵐の後に転換を決断したジャン・リュックにありがとう、と言いたくなった。
自分の価値観が崩れるような出来事に直面しても、何が大切か、を見極めて、そしてその決断を信じて進み、努力を惜しまない。
そんな強さを、このワインが教えてくれた気がする。
※注1:
フランス・ロワール地方の醸造所「ラ・クーレ・ド・セラン(La Coulée de Serrant)」のオーナー。2001年に設立した団体、ルネッサンス・デ・アペラシオンにはボルドーからは13軒(2021年時点)のワイナリーが加盟しており、ビオディナミ農法を実践。テロワールの個性を活かす、化学物質を使わない等の独自の基準を設け、活動している。