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「想像力は知識を超える。それに尽きるよ」。-ドメーヌ・コアペ-

ワインの起源については諸説あるが、数千年もの昔にはもう人類史に存在していたのだという。

ちょっと途方もない話だが、アルコール発酵のメカニズムが解明されるはるか前からワインが人々の暮らしとともにあったのだとすれば、昔の人の想像力やチャレンジ精神にはつくづく頭が下がる。

初めてぶどうを口にした人は、「この黒っぽい木の実は美味そうだ」とか考えたんだろうか。
それが発酵したのは、ましてやそれが未知の美味しさを生むと知ったのは、きっと偶然だったのだろうな。

少なくとも、アンリ・ラモントゥという男にとってはそうだった。


こう書くと歴史上の人物のようだが、しっかり存命だ。
何ならすごく元気だ。

教科書に載せるなら
Henri Ramonteu
(1948-)
みたいなことになるだろうか。

ここジュランソンは、シュッド・ウエスト…つまりフランス南西部にある古くから農耕が盛んなコミューンだ。

かのヴィクトル・ユーゴーに「これほど魅力的で壮大な場所を私は知らない」と言わしめたビアリッツ。バスクの玄関口たる風光明媚なこの街も、今回ばかりはジュランソンへ行くための足掛かりとなった。

「ジュランソンには、世界一の甘口ワインがあるんだよ」。
どこかで耳にしたそんなウワサが私に海辺のリゾートを早々に後にし、いまいち聞き慣れないこの村へと向かわせたのだ。

件の甘口ワイン、カンテサンスをリリースしているのがドメーヌ・コアペというワイナリーでアンリ・ラモントゥはそのオーナーであり、創業者だ。

見渡す限りの野山の中。遠くにピレネー山脈の輪郭が浮かぶ広大な畑が、幼い頃の彼の世界のすべてだった。

「遊ぶものもほとんどないし、外の人たちと出会うのも村のお祭りくらいでね。学校に通い始めた14歳の頃は、慣れない女の子と話すのが怖かったよ」。

アンリの両親は彼が幼少の頃にこの地に移り住み、ずっと農業を生業としてきた。
何十頭もの牛や馬。畑にはとうもろこしと、いくつかの果物。
「目立った産業もないこの場所では、農業をやるしかなかったんだ」とアンリは言う。

10代半ばで初めて外の世界に触れてたじろいでいた彼も、その後青年期を迎えると当時の他の若者と同じように徴兵され、兵役に服すこととなる。
この集団生活で彼の引っ込み思案な性格はすっかりと鳴りを潜め、
退役後は故郷ジュランソンへと戻り、家業の農耕に勤しむ日々を送っていた。

そんな生活にもすっかり慣れたアンリに、転機は不意にやって来る。

「もともとぶどうが好きで、育てているものを摘んできてはよく食べてたんだ。でも、あるとき食べかけのぶどうの房をそのままにしちゃってね。何日か経って気づいて、そのぶどうを捨てようとしたんだけど…」。

ハリがなくなり、萎んだぶどう。なぜかそれが気になったアンリは、その粒を口へと運んだと言う。

「それが美味しかったんだ。水分が飛んで、もぎ立てのフレッシュな状態より甘みが増していてね」。

最終的にアンリはツルにあえて傷を入れ、水分の供給を減らして酸度の強いぶどうの味を凝縮させていくという手法にたどり着く。
それ以前から、彼ら家族は自分たちで消費するためにどぶろくのようなワインをつくってはいたが、次第にアンリはそれを販売することを視野に入れ始めていた。
そしてこのぶどうの新たな美味しさとの出会いは、大きなひらめきとなって彼をワインづくりへと傾倒させてゆく。

「そのもっと前、確か’71年だったかな。最初につくったワインはそんなに美味しくなかったけど、香りはすごく良かったんだ。僕はそれを自分の結婚式で振る舞った。田舎だからね(笑)」。

先に言っておくとこのアンリ・ラモントゥ、今にいたるまで醸造学校に通った経験はない。
本を読み漁り、ときには他のワイン生産者のもとを訪ねては愚直に質問をぶつけてきた。
要するに、ほぼ独学でワインづくりを身につけたのだ。

「最初に会いに行った生産者はふたつあって、ひとつは通り一遍のことしか教えてくれなくて、もうひとつの方には『企業秘密を教えられるわけがないだろう。帰ってくれ』と言われたよ」。

しかし、アンリの醸造にかける情熱と好奇心は加速する一方。
その中で、先の放置ぶどうのエピソード以外にも偶然の天啓がもうひとつあった。
「僕らがぶどうを卸していた取引先のひとつが赤ワインをつくっていたんだけど、『プティ・マンサンでヴァンダンジュ・タルディヴ(遅摘み)をやろうと思ってる』と言っていて。自分でもやってみようと思ったんだ。それが’88年だね」。

プティ・マンサンは、この地方で栽培されてきたローカル品種。
9月の半ばごろには収穫されるのが普通だが、彼は畑をそのままにし、ついには10月が終わった。
そして11月の上旬になって急に冷え込んだある日のこと。アンリが急いで畑に駆けつけると、すでに完熟していたぶどうは降りた霜により一気に茶色くなっていた。

「もうダメだと思ったよ」とアンリは振り返る。
しかし、ここでも彼はこのぶどうを口へと運ぶ。あぁ、その結果はお察しの通りだ。

「やっぱり甘くて美味しかったんだ。もし、このままさらに置いておいたらどうなるんだろうって、ワクワクしたよ」。

そうした体験が、場合によっては年が明けてから収穫することすらあるという、異例のエクストリーム・ハーヴェストに彼を開眼させていった。

今でこそ遅摘みはポピュラーな手法のひとつだが、彼は間違いなくその先駆けだ。
しかし、もちろん良いことばかりではない。
収穫を延ばすということはその分、天候不良やその他のリスクに晒され続けることと同義で、最悪リリースできるはずのぶどうが全滅することだってあり得る危険な賭けでもある。

事実、アンリが遅摘みでつくったワインが話題を集めるとシュッド・ウエストでも多くのワイナリーがそれを真似たが、現在はほぼすべての生産者がそれをやめてしまった。

しかし、アンリはそこから30年以上も遅摘みを続けている。まるで、希望しか見えていないかのように。

そうして初めて遅摘みを試みた冬。アルコール発酵が終わったばかりだった年の初めにあるジャーナリストがコアペを訪ねている。
何かのついでだったのか、他のワイナリーに用があったのか。とにかく偶然の来訪だったそうだ。

話の流れで、その記者は仕込んだばかりで熟成前だったこの甘口のワインをテイスティングする。
「そうしたら『これほどのワインが無名なのはおかしい! 未完成品でこれだけ美味しいなら、可能性があるよ。コンテストに出てみないか?』って言うんだよ」。

その言葉に背中を押され、半信半疑で出てみた結果は5位。有名どころがひしめく70社もの参加者の中にあって、無名のコアペのこの成績は快挙と呼べるものだった。

それ以降、このカンテサンスという甘口ワインはにわかに注目を集めていく。
テレビ局から取材の依頼が来ることもあったそうだ。

そんな日々が続いた冬のある日。事務を任せていた従業員の女性が、血相を変えてアンリのところへ駆け寄ってきた。
ひどく動揺した様子だったのでアンリは「何があったのか」と訪ねると、
彼女は一言、「電話です。…大統領官邸から」とつぶやく。
クリスマスの出来事だった。

ときは’90年代半ば。就任から間もない第22代大統領、ジャック・シラクはバカンスでフランス南西部を訪れていた。
この地が誇る三ツ星レストラン、ミシェル・ゲラールに着いた彼は、ギャルソンたちにふとこんな質問を投げかけている。

「君たち、カンテサンスというワインを知ってるか?」

ドメーヌ・コアペにいくつか入ったテレビ取材。その放送を、直前にシラク大統領は偶然目にしていたのだ。
“12月に収穫し、醸造される甘口ワイン”。
そんなワインがあるのかと、彼は興味を持った。

件の問いにレストランも答える。
「もちろん知っています。ここにもありますよ」と。

そこで初めて飲んだカンテサンスの美味さが彼は忘れられず、
ついにはワイナリーから取り寄せるようにと指示が出たというのが、ことのあらましだ。

そして時間は現在へと戻り、私の目の前には金色に輝くワインが注がれている。
アンリの好意で振る舞ってもらったその一杯を手に取り、顔を近づけると…。

すごく華やかな香りが鼻をくすぐる。この輝きも相まって、期待が最高潮に高まったタイミングで私は口をつけた。

…美味しい! すごく甘いが程よい酸味が心地よく、果実感っていうのがはっきり感じられる。少しとろっとした舌触りもクセになりそうだ。

今まで、それなりにワインを飲んできたが、…いや、飲んできたからこそ、このワインには驚かされた。
こんなに心地よくて、豊かさを感じる甘口には出会ったことがない。

驚く私を見て、アンリはにこりと微笑みながら言う。
「カンテサンスは2年間、樽で熟成してるんだ。普通は樽だと影響が強すぎるんだけど、遅摘みの影響で糖度や酸味のポテンシャルが高くなってるから、果実感が損なわれないんだよ」。

数多の高級ワインを嗜んできたであろう大統領が、エリゼ宮に常備するようにと命じたほどのトップキュベだ。
そのインパクトは、日本からの長旅をあっさりと肯定してくれるくらいには強かった。
私はその感動を素直にアンリに伝えた。

「世界の厳選100ワイン」に選定され、人気のワインガイドでは「世界でもっとも偉大な甘口ワイン」と称された銘柄だ。いまさら、素人の私の賛辞なんてアンリにとっては取るに足らないものだろうと思ったが、彼は頬を緩めて「ありがとう」と言う。

「大統領が飲んでくれるのも、世界のどこかの知らない人が飲んでくれるのも、僕にとっては同じことだよ。飲んで喜んでもらえること、美味しいと言ってもらえることが一番嬉しいんだ。ワインっていうのはあらゆる人に気軽に楽しんでもらえるものであって欲しいと、僕は思ってるよ」。

アンリは少し真剣な顔で続ける。

「最近はラベルでワインを飲む人が多いよね。ブランドだとかステータスだとか、すでに情報がインプットされていて、それで美味しいと思い込む人が。無名だとしても美味しいワインはいっぱいあるのにね」。

今では世界中で称賛されるカンテサンスも、かつては誰も知らないものだった。
自由な発想と好奇心だけでそれを生み出した彼は、40年近い月日が経っても自分にとって何が大切なのかを忘れない。

「今も自分の魂を揺さぶるようなワインに出会えたときには、悔しさよりも嬉しい気持ちが強いよ。世の中にはまだ、こんなに素晴らしいワインがあるのか! ってね」。

独学で始まった無名のワイナリーが、世界的評価を不動のものにした。
そんなシンデレラストーリーばかりをみんな取り沙汰するが、その裏側にはきっと多くの挫折や失敗があったはずだ。

それでも、アンリ・ラモントゥはいつだって新しい可能性を嬉々として追い求める。
長らく甘口のイメージが強かったコアペだが、今では辛口でも高い評価を得ているし、ここ数年は赤ワインにも積極的にトライしているそうだ。
ちなみに赤はまだまだ満足のいくものができていないそうだが、この挑戦の日々は、きっとアンリにとっては創業から続けてきた当たり前のことなのだ。

「想像力は知識を超える。これが僕のスローガンで、それに尽きるよ」。

76歳のアンリの目は、今も輝いている。
数千年前にワインが生まれたときも、もしかしたら彼のような目をした人がいたんだろうか。とにもかくにも、ぶどうとワインはかつて女の子と話こともままならなかったアンリの世界を広げ、人の縁を繋いでくれた。

「どこの世界も、きっと素晴らしいはず。だけど、僕はこのジュランソンがやっぱり好きなんだ」。

アンリもグラスを傾ける。揺れるカンテサンスは琥珀色に輝いていた。
まるで夕陽に照らされた、とうもろこし畑のように。


写真・高橋 ヨーコ/文・今野 壘

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