そして今、私はランスにいる。パリから130キロ、かつて歴代フランス国王が戴冠式を行ったという大聖堂を臨む街だ。
しかし、わざわざこの街に宿を取った理由はシャガールのステンドグラスでも、ジャンヌ・ダルク像でもない。何しろ、ここはシャンパーニュ。目的なんて言うだけ野暮ってものだろう。
ワインの本場たる国へと足を運んで、なぜ真っ先にシャンパン(あえてここでは日本式で呼ばせていただこう!)を思い浮かべたのかはわからない。
日本にいるときにしたってほとんど毎日、赤か白かで悩みはしても、シャンパンを開けることなんてあまり多くなかったのに。
もしかしたら、心のどこかで少しだけ特別な非日常を求めていたのかもしれない。いずれにしても、私の頭はまだ見ぬグラン・クリュへの期待でいっぱいになっていた。
ランスを後にし、小一時間も車を走らせていると、窓の外の風景がにわかにのどかになってくる。
荘厳な建築や石畳の街並み、いまだ聞き取れる気がしないフランス語以上に、こんな何でもない景色が異国情緒を募らせるのだから、旅って不思議だ。
そんなことをボンヤリ考えながらハンドルを握っていると、不意に近代的なガラス張りの施設が目に入る。見晴らしの良い畑の中にあって、それはあまりに大きく唐突だった。
目を凝らすと、門には誰でも知っているグランメゾンの煌びやかなロゴが。
あぁ、やっぱりここはシャンパーニュなんだな……なんて感慨もなくはないけれど、私の足はそこには向かない。
メゾンのロゴを素通りし、一路目指したのはアヴィズという小さな町。シャルドネの銘醸地として知られるコート・デ・ブランの真ん中に、私が目指したワイナリーはあった。
より正確に言えば、危うく見落とすところだった。目的の場所があまりに街並みに溶け込んでいたからだ。
アイボリーの塗り壁にツートンのレンガをはめた窓。クリスチャン・ブルモー、そのワイナリーはあたりの民家と何ら変わらないたたずまいだったのだ。
そもそもここを訪ねたのにはワケがある。
良いシャンパンと聞けばとりあえずスマホで検索するのが私のクセになっていて、たいていの銘柄は専門家たちが残したご高説によって、割と飲む前から知ったような気持ちになれてしまう。
ただ、このクリスチャン・ブルモーの“クロ・ブルモー グラン・クリュ アヴィズ”というシャンパンについては、コンクールの受賞歴も海外の専門誌の評も全然見当たらなかった。
ただただ、実際に飲んだ人たちの評判だけがすこぶる良かったのだ。
このネット時代にあって、その得体の知れなさが私にここまで足を運ばせた。
期待を秘めつつ、少し緊張しながらインターホンを鳴らすと、出迎えてくれたのは気の良さそうなお母さん。
朗らかな笑顔にホッとさせられる。
彼女の名前はイヴリン・ブルモー。このワイナリーのオーナー、クリスチャン・ブルモーの奥さんだ。
招かれて入った住まいは年季が入っているけれど、手入れが行き届いた気持ちのいい空間。
壁にはモノクロの小さなポートレイトがいくつか掛かっている。彼らの先祖だろうか?
事前に目にしていた写真のクリスチャンは気難しいカタブツに見えたが、実際の彼は違った。
「ボンジュール」。そう言って奥から現れたクリスチャン。口数少なでも表情はやさしく、知的だが物腰は柔らかい。
挨拶をすませた私は、突然の訪問に応じてくれたことへの礼と、ここを訪ねた理由を伝えた。
それを聞いたクリスチャンはにこやかな顔で奥へと行き、ボトルを抱えて戻ってきた。
手には、“クロ・ブルモー グラン・クリュ アヴィズ”。なんと、テイスティングさせてくれるというのだ。こいつはありがたい…!
カタブツとか言ってごめんなさい。
コルクは麻紐でしっかりと固定されている。
聞くところによると、今のようなワイヤー式のミュズレの登場以前はこれが普通だったのだとか。
紐がするすると解かれ、金色に輝くシャンパンが小気味よく泡を立てながらグラスに注がれる。
さぁ、念願の一杯。なぜみんなが口を揃えてあれほどこのシャンパンを絶賛していたのか、ようやくその答え合わせだ。
……すごい。複雑でいて、酸味の中に完熟したぶどうをしっかり感じる!
今まで飲んできた“喉越しスッキリ”みたいなシャンパンとは完全に別物だ。
香りの良さも格別だが、特に驚いたのはその泡だ。めちゃくちゃキメが細かくて、口に含んだときの刺激がとにかく心地よい。
自分の乏しい知識と語彙じゃうまく表現できないが、その感想は表情だけでもクリスチャンには伝わったようだ。
相変わらず言葉少なだけど、さっきよりもどこか得意げに見えるクリスチャン。70を過ぎた大先輩に向かってアレだけど、ちょっとカワイイ。
「本当に美味ししいし、びっくりしたよ。これ、何が普通のシャンパンとこんなに違うんだろう?」
頭に浮かんだ疑問が、そのまま口をついて出た。
「初めて飲むと、みんなこのストラクチャーに驚くんだよ。シャンパンはアペリティフだって考えてる人たちが多いから。だけど、これはワインと同じように食事と楽しんだりしてほしいと思ってるんだ」とクリスチャン。
ふむふむ、なるほどね。
「アプリコットなんかのフローラルな香りがあって、チョーク質のミネラルがやっぱり活きててね…」。
うん、だんだん話が難しくなってきたぞ。
空気も和んできたし、饒舌になってきたクリスチャンに少し生意気を言ってみる。「ごめん。僕は素人だからさ、専門的な話はちょっとわからないんだ。このシャンパンの個性って、簡単に言うとしたらどういうことになるのかな?」
一瞬黙ったクリスチャンが、言葉を絞り出す。「………………すごくレアだよ」。
…まさかの希少性。だいぶ無理をさせてしまったようだ、ごめんなさい。
それでもこっちの拙い質問に答えようとしてくれるクリスチャンの不器用な人柄にはついついほっこりさせられる。
横では、息子のアントニーが父のそんな様子を見て笑っている。彼もまた、父親と共に働くワイナリーのスタッフだ。
そもそもクリスチャンはここの5代目で、アントニーは6代目。約150年前に創業して以来、伝統あるこのシャンパーニュ地方でぶどうの栽培業を営んできたのがブルモー家だ。
「このブルモーっていう苗字はすごく珍しくて、私たちと親戚くらいしかいないんじゃないかしら?もともとはル・マンの方にルーツがあって、クリスチャンのご先祖様が兵役で訪れたときにこの地の人と結ばれて、ここで暮らすようになったみたいなの」。
イヴリンがそう話す。
そんな歴史ある家業だが、自分たちで醸造・瓶詰めまで行うようになったのは比較的最近のこと。
かつてのクリスチャンは父であり4代目のウィリアムの元でぶどう栽培に従事しながら、そこで独自のシャンパンづくりを志すようになり、’98年に独立した。
“クロ・ブルモー グラン・クリュ アヴィズ”も、その後に彼がつくりだした銘柄だ。
「実は、僕の父さんも“ウィリアム・ブルモー”っていう名前でシャンパーニュをつくってたんだ。でも、それは全然美味しくなかった。苦くて、青臭くてさ」。
クリスチャンは昔を振り返ってそう話す。
聞くところによると、父・ウィリアムがシャンパンづくりに挑戦した当時はステンレスタンクが急速に普及した時代だったそう。
そんな最新の設備を取り入れ、ウィリアムは自分の味を確立するためにいろいろなものを添加して試行錯誤していたそうだ。
「ボヤけたキャラクターを、最後に添加するリキュールでごまかしてたんだと思うよ」と、自分の父とはいえ、シャンパンについてはいろんな意味で辛口なクリスチャン。
「シャンパーニュとはいえ、ベースはワイン。リキュールと泡で帳尻があえばいいと思ってる人もいまだに多いけど、ワインとして美味しくなかったらおかしいんだ」。
「いや、僕もおじいちゃんのつくったシャンパーニュを飲んだことがあるけど、そこまで酷くはなかったよ?(笑)」。側にいたアントニーが口を開く。
「とはいえ、おじいちゃんのは普通の安いシャンパーニュを求めている人たちのマーケット向けだったとは思う。父さんのつくったシャンパーニュを飲んだとき、おじいちゃんは『お前のことはもう、心配いらないな』って言ってたね(笑)」。
そう語るアントニーもまた、幼少期からぶどう畑のそばで過ごし、早くからシャンパンづくりに参加していたという。
彼が地元の醸造学校に通い始める頃には、クリスチャンはもうすでに自分だけのシャンパンをつくっていた。
ステンレスタンクに頼ったウィリアムとは真逆の、発酵も熟成も樽で行うというスタイルはその当時から今日までまったく変わらない。
今でこそ、樽の可能性が見直されてきてはいるが、まだまだそれは少数派。
ましてや、20数年前ともなれば、時代遅れと見なされてしまっても無理はない。
「実際、そういうことがあってさ。当時、学校の授業でいろんなワイナリーを見学しに行くことがあったんだよね。
その一環で訪ねた生産者が樽を使っていて、それを見たクラスのみんながゲラゲラ笑うんだよ。『いまだにこんなやり方でやってんのかよ!?』って。
クラスの何人かはウチも樽発酵・樽熟成だって知ってたから、『お前んとこと一緒だな! お前のオヤジ、本気かよ?』ってバカにしたんだ。
すごい居心地が悪かったよ」。
アントニーはそう笑って言うが、10代の少年にとってそれがどれだけ辛かったかは想像に難くない。
だけど、それでも彼は大事なことは見失わなかった。
「いまだに丸い樽を使い続けてるから僕らを“コクシネル(てんとう虫)”なんてあだ名でバカにしてくる人もいるけどさ、言いたい人には言わせておけばいいよ。これが自分たちのスタイルだから」。淀みのない口調で、アントニーは続ける。
「僕は小さい頃から父さんと一緒に畑に出ていたし、学校を卒業してからはずっとこのワイナリーで働いてる。
やっぱりここで父さんから学んだことはすごく多くて、それは学校では教えてくれないことだった。学校はやっぱり一般論しか教えてくれないし、実際の畑のことをよくわかってないと、知識があったって全然実用化できない。
樽の使い方もそうだし、剪定もそう。『こういう木の場合はここを剪定して、枝をこっちに導いてやるといい』とかって教えてくれたのは、やっぱり父さんだった」。
彼の父親に対する敬意に、ちょっと胸が熱くなる。黙っているけど、クリスチャンもまんざらでもなさそうだ。
「いや、父さんとはよく考えも食い違うし、ケンカもしょっちゅうだよ?」。
クリスチャンの顔がちょっと寂しそうになったのを、私は見逃さなかった。
「特に雑草の処理……抜くべきかどうかとか、そこは全然意見が合わなくて。結局まとまらないから一部だけを草を抜いて、一部は抜かないで、とかってやってるよ(笑)。
実際天気が読めないことも多いから、何が正解かっていうのは難しくて」とアントニー。
「クリスチャンは頑固でたまにうんざりするし、すごく大変よ。
自分の考えを曲げるのが嫌いな人だから、私たちが『こういう風にした方がいい』と言ったって、まず説得はできない人ね」と、イヴリンから予想外の追撃が。
いよいよクリスチャンがしょんぼりしてきたような気がするぞ。
それでも、クリスチャンはきっと誰よりも畑とシャンパンづくりに向き合ってきた。
息子と妻の冗談めかした物言いには、ちゃんとその理解が滲んでいる。
「父さんは虫とか生き物を見ると放っておけない人でさ。野良猫もよく拾って飼ってたし、畑に鳥が巣をつくったらそこを避けて耕すし。プレス機に収穫したぶどうを入れるとき、てんとう虫がついてることがよくあるんだけど、それを見つけるたびにつまんで、醸造所の外まで逃しに行くんだ。
今まで何万匹のてんとう虫の命を救ったのかわからないよ(笑)。その度に作業が止まるから従業員の人たちはイライラしてたと思うけどね」。
余談だが、その後醸造所に同行したときに私はこのアントニーの言葉を思い出すことになる。
施設の入り口の外で立ち話をしていると不意に白黒模様の野良猫がやってきて、初対面の私の足元に擦り寄りながら寝転んだ。
この猫がこの場所で、普段からどんな厚待遇でもてなされているのかがよくわかる。
「自分たちの畑を、環境を大事にしたい。周りに生きてる生き物を大事にしたいんだ」とポツリとつぶやいたクリスチャン。
そんな彼は、幼い頃から感受性の高い人物だった。
フランスの田舎町で育ち、早くから畑仕事も手伝っていたクリスチャン少年にとって、数少ない楽しみが音楽だった。
「僕、ピアノがやりたい」、そう家族に吐露したのが12歳のときだという。
しかし、両親の理解は得られなかった。「ショックだったよ」とクリスチャンは寂しげに笑う。
それでも年月は経てど想いは消えず、二十歳そこらでギターを買う。彼がイヴリンと結婚したばかりの頃だった。
「当時はすごく貧乏で、どうしてもピアノは買えなかったの。それでも彼は諦められなくて。何年かして少しだけ余裕ができたときにピアノを習い始めて、自分でも中古のピアノを買ったのよ」とイヴリンが教えてくれた。
今も自分のシャンパンのエチケットを自分でデザインしているというクリスチャンのことを、「頑固だけど、情熱的な人」だと彼女は微笑ましそうに言う。
ふと部屋のドアに目をやると、そこにはまだ幼いアントニーの息子が描いたであろう落書きが。クリスチャンの方に視線を戻すと、彼は照れくさそうにピアノへ向かい、譜面台を起こしている。
その顔を見て、この家族があの個性的なシャンパンをどのように生み出したのかが、少しだけわかったような気がした。
それだけに、もったいないとも思ってしまう。これだけ素晴らしいシャンパンと生産者のことが世にはあまり知られていないのだから。
試飲会への出品も、広告出稿も、ワインガイドにサンプルを送ることさえも、彼らはほとんどしてこなかった。
クリスチャン・ブルモーは偶然彼らの元へたどり着いた人たちの伝聞のみでその名が少しずつ広まり、今もそういう人たちに支えられている。
わかったつもりでいたレコルタン・マニュピュランなんていう言葉の意味を、この日私は身をもって知ったのだ。
「特に“クロ・ブルモー”は醸造から熟成にすごく時間がかかるし、ぶどうの収穫量も限られれてるから、ほしいと思ってくれる人に届けることで精一杯なんだ。
でも、クリスチャン・ブルモーにはいろんなレンジのシャンパーニュがあるから、もっとみんながデイリーにシャンパーニュを飲んでくれたら嬉しいなと思ってるよ」。
ここを訪ねるまで、シャンパンは私にとって特別な飲み物で、非日常の象徴だった。
だけど、その輝かしい1杯は特に華やかでもない当たり前の日常の中から生まれていて、彼らも誰かのそうした日々に、自分たちのつくったシャンパンが寄り添っていてほしいと言う。
鍵盤を弾くクリスチャンの手つきは先ほどよりも軽やかになってきた。
その音色は開いた窓からぶどう畑の方へと流れていく。
特別は、自分が思っていたよりも身近にあったのかも知れない。
そう気づくまでに、ずいぶんと遠くへ来てしまった。
写真・高橋 ヨーコ/文・今野 壘