続・ブルゴーニュ滞在紀、ヴォーヌ・ロマネ編。
決してワインに明るくない私でも、さすがに“ロマネ”の響きには覚えがあった。
多くのワイン好きにとっては、きっとこの場所はある種の聖地のようなものなんじゃないだろうか。
そんな重要な場所を物見遊山で訪ねようとしていることに、誰に対してともなく何だか申し訳ない気持ちになる。
さらには、情報収集はもっぱらSNS頼みという体たらくぶり。まったくもって面目ない。
そんな唯一の情報源にすがり、後ろめたさを感じつつタイムラインを眺めていると、ふと気になるワイナリーを見つけた。
ドメーヌ・ミシェル・ノエラ。気になったのはそのフィードだ。
普通、ワイナリーのポストと言うとちょっと気取ったラグジュアリーな感じやら、格式を感じる大人っぽいのがやっぱり多い。
だけど、このワイナリーの投稿には、屈託なく笑ってはしゃいでいる子供たちが度々出てくる。まるで幼稚園みたいだ。
ありがちなものとはちょっと違う雰囲気のワイナリー。
調べてみると、つくっているワインの評価も相当高い。
特に評判の良さそうなのはワイナリーがある村の名前をそのまま冠したヴォーヌ・ロマネという銘柄で、値段もちょっとご褒美的な価格帯。
フランクなムードと本格ワイン。そのギャップの真相を確かめるべく、私はミシェル・ノエラを訪ねることに決めたのだ。
そのワイナリーはヴォーヌ・ロマネの真ん中にあった。しかし、実際に訪れてわかったのだが、このヴォーヌ・ロマネという村、決して広くはない。
むしろ、かなり小規模だ。
それもそのはずで、400ヘクタールに満たないこの村の人口は400人と少しだけ。
それでいて、その4分の3はワイン事業に関わる人たちだというのだから、この地にワインがどれだけ深く根ざしているのかは想像に難くない。
ミシェル・ノエラの6代目、ソフィー・ノエラもこのヴォーヌ・ロマネで生まれ、育ったうちのひとり。
実際に会った彼女はすごく社交的で、笑顔が素敵な人だった。
「写真も撮ってもらうのなら、お気に入りのピアスをしてくれば良かったかしら」とはにかむソフィー。
聞けば3人の男の子がいる母親だそうだが、屈託なく笑う彼女は何だか少女のようでもある。
現在はいとこのセバスチャンとともに、共同オーナーとしてこのワイナリーを切り盛りしていると言う。ちなみに事務を担当しているのはセバスチャンの奥さんのクラリス。
世代が近いこともってか、彼女とソフィーが談笑している様は昔からの友達同士のようだ。
あぁ、ここは完全な家族経営のワイナリーなんだなと、感覚的に理解できた。
フランスでも、外資系資本が入ってきて伝統的なワイナリーの経営が別の人の手に渡ってしまうことは珍しくないらしい。
だけど、ブルゴーニュのワイナリーはフランスの中でも特に血縁関係が濃いと言う。
「ヴォーヌ・ロマネに限らずだけど、ブルゴーニュの人はあんまり外に出て行かないのよ。それが多くのドメーヌが家族経営のまま続いている理由ね」とソフィー。
そう話しながら敷地を案内してくれる彼女についていく。ワイナリーの奥へ進むと、地下へと下る狭い階段があった。
一段下がるごとに、空気が徐々に冷たくなっていくのがわかる。きれいなエントランスとは対称的に、ここは年季が入っている。カーヴに降りると、しんとした空間が広がっていた。古さは感じるが、整頓されていて心地いい。
228リットルの樽が整然と並ぶ横を進むと、傍にさらに時代を感じる部屋がある。ソフィーに聞くと「ここは昔使っていたテイスティングルーム。今は改装してるの」とのことだった。
見渡すといくつか古いワインも散見する。どんな味がするんだろうか…。
「ここにあるのはほとんどが私のおじいちゃんの代でつくられたものね。ひいおじいちゃんの頃はウチはまだヴィニュロン(ぶどう栽培者)で、自分たちのワインを売ってはいなかったの」。
ずっと、ワインとぶどうとともにある家系。
幼少期の彼女もこの家業と、極々狭いコミュニティの中で幼少期を過ごした。
それでもやっぱり、成長するにつれて少しずつ外の世界に意識は向いていく。
まだ自分が何者かもきっとわからなかったであろう16歳のソフィーを、父のアラン・ノエラは醸造学校へと連れて行ってこう言った。
「ソフィー、これからお前はここで勉強するんだ」。
まだ将来のイメージもおぼろげで、それでも期待と不安でいっぱいの歳の頃。
親のそんな強制に、当然彼女は猛反発した。
「本当にショックだったわ。私はお父さんに『絶対に嫌! 私はワインづくりなんてやらないわ!』って言ったの」とソフィー。
彼女が進学したのは、大学の法学部。父の意志に明確に背く選択だった。
狭いヴォーヌ・ロマネを飛び出して、少しだけ広がった世界。そこでの生活は楽しかった。
友人たちが家に遊びに来ることもよくあったそうだ。
しかし、やっぱりそこはワイナリー。
お酒が飲めるようになった好奇心たっぷりの若者たちは、遊びに来てはテイスティングに興じた模様。そりゃあ無理もない。気持ちはよくわかるぞ。
「友達が遊びに来て、みんなでテイスティング。そんなことを何度かしてるうちに気づいたの。私、自分の家がつくったワインの話を楽しそうにしてるな、って」。
一度は反発したけれど、結局立ち返ったのは自分のルーツ。
ひたすら考え抜いた末に、彼女は家業を継ぐことに決めた。
それを父に伝えたときのことをソフィーは振り返る。
「ブルゴーニュの人って、あんまり感情を表に出さない人が多いんだけど、あんな嬉しそうなお父さんは見たことがなかったわ(笑)」。
一念発起して、改めて学んだ醸造学。元より、年中休まず働く父の姿を見ていたソフィーは、ワインづくりがどれだけ大変なものかは知っていた。
それでも、ワイナリーに参加したソフィーにもう迷いはなかった。
「いまだにワインの世界って女の人が少ないの。ましてやおじいちゃんの時代なんかは醸造施設に女性は入っちゃいけないっていうのが当たり前だったのよ。ワインが不味くなるとか、失敗すると言われていたし、女がワインをつくるって言ったら周りは『は!?』みたいな反応だったみたい」。
彼女のお父さんは娘の参加を純粋に喜んだが、ブルゴーニュではそんな古い時代の考え方を今も持っている人もやっぱりいるようだ。
「でも、私は自分がワイナリーに加わって、『こんなふうにやりたい』だとか、『あんなことをやってみたい』って、お父さんとちゃんと話ができるようになったのよ」とソフィーは笑う。
彼女が采配を振るようになってからはまず選果台を導入し、設備を整えた。
「お父さんのワインづくりはテロワール第一主義みたいなところがあったの。ずっと畑と向き合ってきた人だからね。でも、その反面で抽出が過度になっちゃったり、かなりスパイシーな味になっていて。お父さんは新樽を使うのが好きだったから、どうしても苦味とスパイシーさが出ちゃったのね」。
ずっと父の仕事を見てきたソフィーは、ひとつずつ改善点を見つけては解決していった。
その結果が、今目の前のグラスに注がれている。
ヴォーヌ・ロマネ。件のピノ・ノワールのフラッグシップだ。
グラスを軽く回すと、ふわっと華やかな香りが立ち上る。
期待も高まり口に含むと、にわかに広がる果実感。しっかりしているけどやわらかく、すごく上品な印象だ。
「お父さんのときは4つのエリアのピノ・ノワールをブレンドしてたんだけど、それを私の代でふたつのヴィラージュだけにしたの。だから、テロワールの味わいは明確になったと思うわ」とソフィー。
何というか、複雑ではあるけど透明感のある味わいはもしかしたらその辺りに理由があるのかもしれない。
生まれ育ったワイナリーに戻ってきて、父のワインを進化させたソフィー。
昔の味を知らなくとも、この美味しさが彼女の積み重ねてきた歳月なのだと思うと感慨深いな…。
余談だが、ソフィーの旦那さんはこのワイナリーに手伝いに来ていた人で、ソフィーとは子供の頃からの幼馴染。彼の実家もワイナリーで、ミシェル・ノエラから170メートルという近さだ。
ワイナリーの入り口に目をやると、サッカーボールを抱えたソフィーの子供達が見えた。
ソフィーや旦那さんも、かつてはこの地であんな風にはしゃいでいた子供だったのかもしれない。
「サッカー、好きなんだね」と子ども達にも話しかけてみる。
聞けば、長男のヴィクトールと次男のオスカーは近隣の村、ヴージョにあるサッカークラブに入っているらしい。
「(アントワーヌ・)グリーズマンが好きなんだ!」とヴィクトール。
「フランス代表は、やっぱりスターなんだね」と私が言うと、
「でも、ママもスターなんだよ! ボトルにサインをしてって言われたり、一緒に写真を撮って欲しいっていろんな人に言われてるんだから!」と得意気に返す。
ソフィーは声を出して笑っている。
頑固で厳しかった父、アランも今やこんな孫たちにデレデレだ。
「強制はしたくないけど、あの子たちがワイナリーを継ぎたいと思ってくれたら嬉しいな」とソフィーはつぶやく。
「でも、三男が生まれて最初に話せた言葉が『tracteur(トラクター)」だったから、可能性はあるかもね(笑)」。
そんなことある? 普通「ママ」とかでしょ…。
「長男と次男も、バカンスに行っても『早く帰ってぶどうが収穫したい!』って言うのよ。『僕も収穫したいから、学校休んでもいい』って言われたこともあったわね」。
そりゃあ将来有望だ。
でも、そう言ったヴィクトールは、決して学校が嫌いなワケじゃないらしい。
「同じクラスに、大好きな女の子がいるのよ。3歳の頃から好きで、『あの子と絶対結婚する!』ってずっと言ってるわ(笑)」。
そんな話をしていたら、さっきまでアランとボールで遊んでいた子どもたちがテイスティングルームにやって来た。
「ヴィクトール。聞いたんだけどさ、好きな子がいるんでしょ? どんな子なの?」。
チャンスと見て、そう投げ掛けた。
ちょっと恥ずかしそうにもじもじしているヴィクトール。
照れながらも「すごくハッピーな気持ちにさせてくれるんだ」と話してくれた。
そのいじらしさを見たら、応援したくなるのが大人ってものだ。
ソフィーの話では、向こうも満更じゃないらしい。
「その子の家もワイナリーで、ここから300メートルくらいのところにあるの。ヴォーヌ・ロマネで育った女の子なら、結婚相手を決めるときはどこにどんな畑を持ってるかをきっと重視するわね。イケメンよりも、イケ区画よ」
えぇ!?
「私は違うけどね」とソフィー。冗談なのだろうが、妙に真に迫るような説得力を感じさせる。
かつての彼女と旦那さんがそうだったように、彼らの息子もまた、この小さな村で恋を知り、大人になっていく。
たった数百メートル圏内のヴォーヌ・ロマネのストーリーは今も続いている。
そこから生まれるワインが世界を沸かせているのだから、なんとも不思議なものだ。
「閉鎖的なところも確かにあるかもしれない。でも、私はブルゴーニュに生まれてよかったと思ってるわ。できたらノエラの名前が、これからもずっと残っていってくれたらなって、そう思うの」。
ソフィーはワイナリーではしゃぐ子どもたちを眺めながらそう話す。
戻ってきたヴィクトールに将来の夢を尋ねると
「僕は、ワインづくりをしながらサッカー選手をやるんだ!」なんて答えが帰ってきた。
なるほど、そいつは相当忙しくなりそうだ。
「ワインとサッカーのスターになったら、また話を聞かせてね」。
そう子どもたちに伝えて、僕らはヴォーヌ・ロマネを後にした。
この地のワインはSNSやネットを賑わしているけれど、本当の人間模様は、いくら待ってもタイムラインには上ってこない。
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写真・高橋 ヨーコ/文・今野 壘