シートベルト着用のランプがようやく消え、私は背もたれを倒した。
後ろの席のご婦人には軽く会釈だけしたものの、怪訝そうなその顔を見るにリクライニングはささやかに留めておくのがベターだろう。
夕暮れのパリを後にし、東京への帰路。
ここからまた半日以上は空の上だ。タブレットにはWi-Fiが入るうちにダウンロードしておいた何本かの映画のリストが並んでいた。
明らかに観きれないその量に、エコノミーでの長旅を少しでもマシにしようという自分の必死さが滲んでいるように思えて何とも言えない気持ちになる。
機内の明かりが落ちて静まり返った頃、手元の画面には芝を刈った後の庭を眺めてひとり寂しく安いビールを煽る老人の姿が映っている。
久しぶりに観たクリント・イーストウッドの哀愁漂う芝居が妙に沁みるのは、きっとこのフランス滞在が理由だろう。
南フランス、地中海沿岸。ラングドック・ルーションというエリアを訪ねたのが、今回の旅の一番の収穫だった。
ワインに大して明るくない私でも聞き覚えがあった、“ポール・マス”という響き。
このワイナリーに興味が湧いたのはそんな浅い理由からだったが、この直感は間違っていなかったと今ならはっきりと断言できる。
道中の田園風景は、南仏のゆったりとしたムードを否応なしに感じさせてくれたけれど、
決して想像を超えるような意外なものではなかった。
そんなふうに油断していたからだろうか。ドメーヌ・ポール・マスについた私は度肝を抜かれた。
見えるところ一体、すべてこのワイナリーの敷地なのだという。
むしろ、果てが見えない。
醸造所などの建物が所々に点在する、とにかく広大な土地。それも、ただの畑ではなく丘もあれば森もある。もはやそれはワイナリーというより、知らない国に足を踏み入れたような感覚だった。
その広さは、自社の畑だけで950ヘクタール。
東京ドームだと大体200個分に相当し、千葉県にある人気者のネズミの国が51ヘクタール、ということは…ざっくり言って、めっちゃ広い。
聞けばこのドメーヌ・ポール・マスは大小17からなるワイナリーの集合体で、そのすべてを統括するのが目の前にいる男、ジャン=クロード・マス、その人だ。
上質そうなレザーのジャケットにブーツ、ティアドロップのサングラス。
畑を背にした彼は、さながら西部劇のようにワイルドだったが、
その所作や出立には不思議と品があり、知的に見えた。
「よく来たね! 案内するよ。さぁ、乗って」
うながされるまま、私はカートに乗り込んだ。
これだけ途方もない規模になると、敷地内の移動も車なしではまず無理なのだ。
そんなこんなで、予想外に始まった私の南仏大冒険は荒れたオフロード(私設)をナイスガイのジャン=クロードとゆく形で幕を開けたのだった。
それなりの速さが出るのにドアも無いカート、私は振り落とされまいとバーを必死で握りしめる。
アクセルを踏み込み、ハンドルを切りながらジャン=クロードは自分のことを聞かせてくれた。
彼の家系がこの地で130年前からぶどうの栽培を行ってきたこと。
アメリカでマーケティングを学び、世界を旅してこの地へ戻ってきたこと。
2000年に自分で最初のワイナリー、シャトー・ポール・マスを立ち上げ、
20余年でここまでの規模に育て上げたこと。
ワインビジネスなど一切知らない私でも、
これだけの規模のワイナリーを取り仕切るということにどれほどの経営手腕や責任が求められるのかは想像がつく。
「それを一代で成したんだから、ジャン=クロードは間違いなく成功者だね」。
私がそう言うと、ジャン=クロードは「うーん」と少し考えた後に口を開いた。
「ラングドックはね、元々ぶどうの栽培では有名だったけど、決して偉大なワイン産地とは思われていなかったんだよ。だけど、僕は世界を周って、このラングドックでできることは何なのかってずっと考えてたんだ。どういう気候で、どういう品種が合っていて、どういうふうに植えればいいぶどうが育って、いいワインができるのかを。幸い、経営面では順調だけど、ワイン作りでは失敗もたくさんしてきたよ」。
さらに、彼はこう続ける。
「ローカルの人に『この土にはこういうぶどうを植えた方がいい』と言われてやってみたりしたけどそれがうまく育たなかったり、規模が大きくなるにつれてたくさんの人が関わるようになると、適材適所がうまくいかなかったり。人的なリクルートミスは一度や二度じゃないしね。だけど、この25年くらいでそうやって経験や学びを重ねていく中で、それをワインづくりに活かせるようになってきた。そういう意味では成功者かもしれないね」
どれだけ事業が大きくなっても、彼の成功の物差しはつくるワインの良し悪しにあるようだ。
彼の口から出てくる言葉に滲むワインづくりへのこだわりや冷めない情熱が、その価値観がただの口上ではないのだと暗に物語っていた。
程なくして、「着いたよ」と言って彼は車を停めた。
石灰質の岩や低木(やたらとトゲが大きく危険)を避けながら降りると、そこは小高い丘の上だった。
どこまでも広い空に山の稜線が浮かび、左側には地中海を臨む。遠くに見える街並みは、ジャン=クロードのお父さんやお爺さんが生まれ育った街なのだという。
「今日は晴れてるからピレネー山脈がよく見えるね。ここが、僕が一番好きな場所なんだ。360度見渡せて、ラングドックの美しさが一番感じられるから。海に昇る朝日とか、真夏の午後の空の色、あとはセミの鳴き声。全部、僕が好きなラングドックの風景だよ」。
収穫を控えた8月の終わり。陽射しは暑いが吹き抜ける風が心地いい。
この景色を前にしていると、ちっぽけな悩みなんて吹っ飛んでゆきそうだ。
しかし、そんな雄大な南仏の自然をもってしても、私の邪念を祓うことはできなかった。
シラーにカベルネソーヴィニヨン…カートから見たいくつものぶどう畑が、どんどん私の頭をポリフェノールで染めていったのだ。
そんな気持ちが顔に出ていたのか「じゃあ、シャトーに戻ろうか」とジャン=クロードは微笑む。
帰りの道中も、やっぱりそれなりに長い。いったいどれだけ広いんだ…。
「ちょっと寄り道するね」と、ジャン=クロードは途中にあったひとつの醸造所で車を停めた。
ここはアステリアという2018年にできたワイナリー。もちろん、オーナーは彼だ。
ジャン=クロードは数名のスタッフと話している。さて、急に手持ち無沙汰になってしまったぞ。
建物の周りをうろついていると、フォークリフトに乗った女性のスタッフがプレス機にせっせと収穫されたぶどうを入れていた。
それがひと段落ついた折を見計らって、彼女に話しかけてみる。
「こんにちは。ここで働いてもう長いの?」
聞けば彼女はこの醸造所の副責任者で、5年ほど前にここへ来たという。
「ここは現代的なステンレスタンクからバリック(小型の樽)まで、新しいものも古いものも色んな設備を使ってワインづくりができるから楽しいの」
Tシャツ姿の彼女はにっこり笑ってそう話す。
「このワイナリーとジャン=クロードは好き?」
「ウィ、ウィ! すごく働きやすい環境で、彼は色んなことにチャレンジさせてくれるし、すごく信頼しているオーナーよ」。
ジャン=クロード、慕われてるなぁ。
彼女にお礼だけ告げ、私はカートの方へと戻るとジャン=クロードの要件も済んだようで、運転席でキーを回しているところだった。
いよいよワインにありつける!
邪念でパンパンの私に、ハンドルを握ったジャン=クロードがふと語りかける。
「3歳くらいの頃だったかな。僕が外で遊んでいると、見たことのない鳥が飛んでいてさ。気になって追いかけたんだけど、気づいたら知らない場所まで来てしまっていて。迷子になった僕を、見知らぬ大人が送り届けてくれたんだよね。結局鳥は見失っちゃったんだけど、なんだかそのときのことがすごく印象に残ってる」。
だからなのか、彼の会社と最初につくったワイナリー、シャトー・ポール・マスのロゴにはどちらも鳥が描かれている。
ジャン=クロードの語った原体験は、きっと彼の旅と冒険の人生の始まりだったんじゃないだろうか。
まだ見ぬ鳥は最良のワインという形に置き換わり、今も彼を前へ前へと導いているように思えてならない。
シャトーに戻ると、スタッフが食事の用意をしてくれていた。
思わぬ歓待に驚きつつ、邪念だらけの私はただただ感謝の意を伝えた。
大きな生ハムやカプレーゼ、イチジクにマスカット。
そしてもちろん、傍には数本のワイン。
実際にレストランとしても営業しているこの場所を、休みの今日は開放してくれたそうだ。
晴れた南仏で、日差しが差し込むこの食卓。
こんな贅沢って他にある?
泡、白と料理に合わせてジャン=クロードがワインをグラスに注いでくれた。
どれも美味しい! しかし、特にシグネチャーのシャトー・ポール・マス クロ・デ・ミュールは格別だ。
古木のシラーとグルナッシュという品種を使った赤ワインだそうで、樽香ってやつがよくわかる。ついさっき広大なぶどう畑を通り抜けてきたことを抜きにしても、果実らしさもはっきり感じられるのだ。
「テロワールがよく現れていて、同時に新世界のおもしろさもあるワインなんだ。香りが上品でしょ?」
グラスを眺めて感心しきりだった私に、ジャン=クロードがそう添える。
忘れないよう、その場でラベルの写真を撮っておく。
これは日本に帰ったらもう一度開けたいヤツ。
軽く調べたところ、美味しさに反して結構リーズナブルなのもありがたい。
ジャン=クロードの出立ちや所作にはずっと品があるけれど、華美な高級感とはまた違う。
そんな彼自身のバランスが、ワインの個性と重なって見える。
そして、下世話な私はついつい本人に聞いてしまうのだ。
「すごく美味しいけど、どれも手が届きやすい値段だよね。長年ワインづくりをやってきて、高級路線に走ろうとは思わなかったの?」
すると、ジャン=クロードは笑ってこう答えた。
「高品質でもできるだけ値段を抑えたワインをつくろうっていうのは、最初からすごく意識してたよ。ラグジュアリーって、人の感情が大事だと思うんだ。たとえばエルメスのバッグはものすごく高価だけど、すごくいい革を使って、職人たちがひとつひとつ手でつくってる。それは本当のラグジュアリーだと思うけど、ただロゴを載せただけで高値で売ってるようなブランドもあるよね。だから、高級の本質を見極めないといけない。僕らはリュクス・リュラルの本質を見せたいんだ」。
リュクス(贅沢)と、リュラル(田園)。
ここに来るまでの自分だったら、きっと結びつかなかったであろうふたつの言葉が、今はすんなり馴染んで入ってくる。
だって、それを実際にこの目で見てしまったのだから。
「美意識やこだわり、豊かな自然と景観の美しさ。このラングドックには全部が揃っていて、それがラグジュアリーだと僕は思ってるよ。この環境で自分ができる最良のワインをつくり続けることが一番大事で、それが自分の目標だよ」。
ビスポークでイチからつくったブーツを、15年間直し続けて履いているジャン=クロードは、きっと豊かさの本質を知っている。
彼がワインづくりに傾倒して30年以上が経ったが、その熱量は増すばかりだ。多忙な日々、休みは何をしているのかと問うと、
「馬や車に触れたり、娘や友達と過ごしてるよ。あとは、世界中の新しいワインを探してる」と言うから筋金入りだ。
「建築だとかデザインも好きだし、映画も観るよ。クリント・イーストウッドとリュック・ベッソンが好きだなぁ」。
中でも、クリント・イーストウッドは特に響くものがあると彼は言う。
「作品だけじゃなく、ああいう生き方をしてる人って、たぶん満足しない人だと思うんだ。こだわりが強くて、努力をしている人。自分もそういうタイプだと思うから、すごく共感するんだと思うよ。常にベストな状態でありたいし、いいワインをつくり続けたい。格好よくありたいし、人と仲良くしていたい。そういうエゴが、僕は人より強いんだろうね(笑)」。
やっぱりいいものの陰には、いいワインの陰には、必ずこうやって人のこだわりや情熱があるんだろうな。
受け手が人なら、やっぱりそれを感動させ得るのもまた人だ。
ジャン=クロードも「ぶどうを育てるより、人を育てるのはもっと難しいよ」と笑っていたっけな。
美酒も美食もこの田園風景も名残惜しいが、もう翌朝にはパリへと向かわなきゃならなかった私は、再訪を誓ってドメーヌ・ポール・マスを後にしたのだった。
薄いブランケットに包まり、座席でぼんやり画面を眺めながらそんなことを振り返ってると、長距離移動でヘトヘトの体とは裏腹に不思議と元気が湧いてくるような気がする。
後ろの席のご婦人は、とっくに寝息を立てている。
「おまえの人生はこれからだ」。
老俳優のそんな台詞を聞きながら、私はまぶたを閉じて眠りについた。
写真・高橋 ヨーコ/文・今野 壘
---photo gallery---