この16進数のカラーコード、打ち込むと現れるのは暗く、深い赤色。
手っ取り早く“ボルドー”という名で言えばわかりやすいだろう。
今まで気にも留めなかったが、このネーミングが実はけっこう奥深い。
勘のいい人ならこのトーンと響きでもうお気づきだろうが、語源は赤ワインの色に由来する。
そして、地名がそのままワインの代名詞として冠されたというわけだ。
フランス広しと言えど、我々日本人がワインの真髄に触れたいと思ったなら、やっぱりここは外せないんじゃなかろうか。
ところで、いきなり長々語っておいてなんだが
今、私は大ピンチの最中にいる。
話は少し前にさかのぼる。
シャルル・ド・ゴールから1時間と少し。日本からはトランジットも含めれば19時間。
ようやく念願のボルドーに着いた。
が、荷物が届かない!!
羽田のチェックインで荷物のタグがひとつだけしか出てこなかった時点で何となく違和感はあったが、まさかこんなことになろうとは。
運よく今回は現地で長く暮らす友人と合流する予定だったため、荷物探しの空港職員さんとの交渉はすべて、フランス語が堪能な彼女に委ねた。反省。
もはや何もできることがないこの状況の私がなぜ焦っているのかというと、一番の目的であるワイナリー訪問の約束時間が迫っていたからだった。
結局、荷物は後ほど届くことになったので、ひとまず私たちは駆け足で空港を飛び出した。
向かう先はドルドーニュ川の右岸、コート・ド・カスティヨンと呼ばれるエリアにあるシャトー・プピーユというワイナリーだ。
日本で飲んだ「プピーユ」は、ちょっとこれ以上は無いんじゃないかというほど、コスパに優れた良いワインだった。
そのリーズナブルさに最初は大した期待もせず栓を開けたのだが、驚くほどに美味かった。果実らしさがあってフレッシュで、こういうのを凝縮感って言うんだろうか?
それでいて、軽やかでもあった。一緒に飲んだワイン好きの連れは、「ミネラル感もあって…」とか何とか言っていたっけ。
正直このエリアについても、ましてやこの生産者についても私はまったく知らなかったが、少し調べてみると、ふとこんなエピソードが目に留まった。
数年前、とある品評会でのブラインドコンテストで最後まで残ったのがこのプピーユと、同じボルドーの超名門、「シャトー・ペトリュス」だったという、ちょっとにわかには信じ難い話だ。
確かに「プピーユ」はかなり美味かったが、競り合っていたワインはおそらくゼロがふたつ違ったはずだ。
そこに興味が湧いて、このワインがどんなところでつくられているのかが見てみたくなったのは、極々自然なことだろう。
到着すると、ラフなシャツ姿の男が気さくな笑顔で迎えてくれた。
彼がオーナーのフィリップ・カリーユ。ちょっとお腹は出ているけれど、なかなかに伊達男じゃないか。
「よく来たね! アリゴテ」。
ん? 聞き間違いか?
後でわかったことだがこのフィリップ、日本が好きでたびたび来日しては酒の席での伝説を量産しているらしい。
「アリゴテ」という感謝の言葉は、どうやらそんな酒豪が日本でもてなされる中で身につけたワイナリー流ジョークのようだ。
牧歌的で見晴らしのいい丘の上に建つ彼の自宅は目の前に自社の畑が広がり、醸造所もすぐそばにある。
彼の家系は元々1800年代からぶどうの生産をしていて、このシャトー・プピーユは、元々あったワイナリーを1967年にフィリップの父親が買い、そこから約20年後にフィリップが受け継いだということらしい。
のそのそと歩く飼い猫の茶トラの姿がよく似合う、何とものどかな場所だ。
そんな敷地内を彼について歩いていると、ふと目の前にトラクターが停まる。
日差しが照る中、ティアドロップのサングラスをかけたおじさんが運転席からフィリップに話しかけている。どうやら、ここの従業員の人みたいだ。
二言三言、言葉を交わすとおじさんはトラクターのエンジンをかけ直し、畑の方へと去っていく。
「うちのトム・クルーズだよ」と振り返って笑うフィリップ。
何言ってんだ。
カベルネ・ソーヴィニヨンにメルロー、カベルネ・フラン。
ぶどう畑には区画ごとにいくつかの品種が植えられ、きれいな垣根が遠くに向かって伸びていた。その傍らに目をやると、年季の入った井戸がある。
何だか歴史を感じるなと、しげしげ眺めていると、それに気づいたフィリップがこう語る。
「その井戸は、このコミューンの遺産になってるんだよ!」。
「へぇ〜!」とこちらが感心していると、フィリップが続ける。
「嘘だよ。俺が買ってきて、ここに置いただけ。でも昔からあるように見えるだろ?」
…何だコイツ。よく見りゃこの井戸も、レンガの中を覗くとただの地面になっている。
うっすら気づいてはいたがこの人、たぶんけっこうテキトーだぞ。
日本で「プピーユ」に覚えた感動が揺らぎそうで不安だ。
とは言え、ワイナリーはどこもきれいで、しっかりと手入れされているのがよくわかる。
全体的にはクラシックだが、施設内ではところどころに見慣れない設備があることに気づく。
特に熟成用の樽が並ぶ棚は、円形のスペースにローラーが付いた不思議なものだった。
聞けばこれはオクソラインと呼ばれる回転式のラックで、オリが底に溜まった際に撹拌するバトナージュという作業を、蓋を開けずに行えるというシロモノらしい。
空気にさらさずバトナージュが行えるため、酸化防止の添加物の使用をグッと抑えることができるのだそうだ。
そんな目新しい技術も導入している一方で、いまだに畑を耕すのに馬に犂(すき)を引かせることもあるらしい。
最新式の設備に、昔ながらの農法。何だか、チグハグなバランスに感じてしまう。
そうこうしているうちに敷地を一周し、再び彼の自宅へと戻ると、若い男がこちらへ来る。18歳、お酒が飲める歳になったばかりのフィリップの息子、ピエールだ。
結構な二枚目で、豪胆な父親と違って物静かな青年だ。
彼に自宅に促されるまま、自宅へお邪魔する私たち。すると、テーブルの上にはたくさんの料理が!
聞けば、今日のためにフィリップが手料理を仕込んでくれていたのだそう。
ふざけたことばかり言っていても、基本的には優しく、気のいいおじさんなのだ。
「そろそろ昼ごはんにしよう」と言って、フィリップは庭のグリルに火を入れていた。
熟成肉の焼けるいい匂いが漂う中、席に着く一同。
フィリップはホーローの鍋の蓋を開け、昨晩煮込んだというラタトゥイユをよそってくれた。
「全部、裏の畑で採れた野菜なんだ」。
これは嬉しいサプライズだ。
ブッラータチーズは見たことのないような大きさで、焼けたステーキもすごいボリュームだ。
「全部食べるまで帰さないからな」とフィリップがニヤリ。
サンネクテールやトリュフが入ったブリヤ・サヴァランなど、いくつかのチーズが切り分けられた。
乾杯するワインはもちろん「プピーユ」だ。
これまでに何度も日本に来ているフィリップは、来日時に決まって使うお気に入りの乾杯の文句があるようだが、なんとなく嫌な予感しかしないので丁重に無視を決めこむことにする。
それはともかく、念願の現地で飲む「プピーユ」は、やっぱり格別だった。
その背景を目の当たりにした今、浮かんだ疑問をフィリップへ投げかける。
「新しいやり方と昔ながらのやり方、両方が混ざっていて不思議な感じがするね」。
友人がフランス語に訳してくれたあと、少しだけフィリップの顔つきが変わった気がした。
「できるだけ機械や薬品を使わないようにしてるんだ。なるべく自然な環境でワインをつくりたいからね」。
フィリップの表情は相変わらず朗らかだが、眼差しは打って変わって真剣だ。
彼らはコート・ド・カスティヨンでもいち早く有機栽培に着手し、2008年に認証を取得している。
草木に囲まれたこの場所で、自然を大切にする。それがフィリップの考え方。
とは言え、それを盲信したりはしていない。
「あくまで一番にあるのは美味しいワインをつくりたいっていう気持ちだよ。いつだってそれが自分を動かしてると思う。2000年代に入ってから、“ナチュラルワイン”って言葉を聞くことが急に増えたけどさ、それを飲むたびにずっと疑問だったんだ。『添加物が入ってないから美味しい!』ってみんな言うけど、本当にそのワイン、美味しいと思うの? って」。
どこかからか戻ってきた茶トラが、私の横で丸くなって寝ている。それに目をやると、フィリップは、グラスを置いてにこやかに言う。
「俺は自分が自信を持てる品質のワインをつくりたかった。やっぱり自分が本当に美味しいと思えなきゃ意味がないよ。そのために必要なやり方を自分たちで判断して、それが地球やワインづくりのためにより良いと思えたなら、率先してやるようにしてる。今はビオロジック栽培だけど、それに替わるイノベイティブな方法だってきっと見つかるんじゃないかと思ってるよ」。
改めて今日見たこのワイナリーの環境を思い返すと、ソーラーパネルや電気自動車、太陽熱を使った給湯器など、彼のこうした言葉を裏付けるような要素が至るところにあったことに気づかされる。
どれだけおどけていても、彼の中には確かな哲学とロジックがあったのだ。
「ビオディナミの生産者も増えたけど、俺は全然興味が無くて。科学的根拠の無い迷信は要らない。イデオロギー中心じゃなく、ただ良いワインをつくることと、自分たちの生活を守ることを考えていたいんだ」。
もちろん、ビオロジック栽培には大きなリスクが伴う。気候によって収穫量は大きく変わるし、その気候も変動が著しい。
大きな企業の後ろ盾がない家族経営のワイン事業だけに、畑の管理も醸造テクニックも、販売するためのコミュニケーションも、すべてが自己責任。
その上、フランスでワイン生産者として活動するには役所に提出が必要な書類も多く、内容も複雑だ。
フィリップがふざけてばかりいるのは、日々さらされるこうした不安やストレスへの彼なりの抗い方なのかもしれない。
そんな気持ちを言葉にする前に、フィリップがポツリとつぶやく。
「本当に大変だけど、楽しく笑って仕事ができる方がいいからね」。
今でこそ、彼らのワインは世界中で支持されるようになったが、これまでの道のりも順風満帆とは程遠いものだった。
ワインづくりがうまくいかなかった年でもぶどうは実り、新たな樽が必要になる。その樽を買うお金にも困り、瓶詰めしたワインを抱えてベルギーまで必死に売りに行ったこともあったそうだ。
以前にもこのワイナリーを訪ねている友人によると、フィリップの奥さんはとてもきれいな人なのだという。ふたりは今も仲睦まじいが、実はその籍はもう何年も前に抜いている。
それはかつて経営が苦境に瀕したとき、もしものときには借り入れの責任の追求が奥さんへ及ばないようにという、フィリップの判断によるものだった。そうやっていつだって彼は自分でひたすらに考え、それを実践してきた。
「大きい企業や外資のワイナリーなら、何かやろうと思えばすぐにでも始められるけど、自分たちはそうじゃないから一番原始的な方法で良いワインをつくる方法を模索して、それをずっと続けてきたんだ。俺は決して賢くないけど、それは賢い選択だったと思ってるよ」。
ちなみに奥さんの前では一切下ネタの類は言わないらしい。それも賢い選択だ。
フィリップの言葉を反芻しているうちにすっかり満腹になっていた。
ボトルに少しだけ残った「プピーユ」を、グラスに注ぐ。
このワインがこれだけの美味しさにも関わらず、あまり知られていないのは格付けになんて目もくれない彼の姿勢が理由だったのだなと、このときはっきり理解した。
「僕は本当にワインが好きなだけで、ラベルを飲んでるわけじゃないからね。ワインは分かち合うものだし、一部の人しか手が届かないようなものにはしたくないんだ」と彼は笑う。
60歳を目前にしたフィリップだが、そのエネルギーは衰えを知らない。
「男って、大体みんな18歳ぐらいまでが思春期だよね。だけど、自分はそれがいまだに続いてる気がするよ(笑)」。
おどけるフィリップに、その終わらない思春期で最高のワインができたのはいつだったのかと尋ねてみた。
「もう41年この仕事をやってるけど、今がそうかもしれない。年をとるごとに味覚も変わっていくし、感覚も変わっていく。そうやって成長してきた中で、今は自分の思い描くワインができてるからね」。
「やっぱり俺はアーティザン…職人になりたいよ」。そう話すフィリップの顔が、妙に印象的だった。
すっかりたらふくご馳走になり、気づけば陽も傾き始めていた。
空港には遅れた荷物が届いている頃だろう。
名残惜しいが、そろそろお暇の時間だ。
テーブルの片付けを手伝いながら、「メルシーボークー」とおぼつかないフランス語で礼を伝える。
「ノーノー! メルシーボーキュ!」フィリップがニヤニヤしながら声を張る。
?
どういうことだろう?
ポカンとしていると、友人が「“ありがとう、いいケツだ”って意味だな」と感情の死んだ顔で言う。
おっさんの思春期っぷりは最後まで健在だった。
彼よりも落ち着いて見える息子とキッチンで何やら楽しげに話していたフィリップがこちらに戻ってきた。
「ピエールは大人しそうに見えるだろ? でも、柔軟なところもあるし、頑固なところもある。いつかは自分で道を拓いていくような子だから、楽しみだよ」。
微笑ましくも、一日かけて振り回された情緒に何だかなぁと思いつつ、グラスに残ったワインをぐいと飲み干す。
深くて暗く沈んだその赤は、あるいは情熱の色だったのかもしれない。