どうしてこうなった。
ものすごく獣クサい。そして鳴き声がやかましい。
今、私は草にガッつく羊の群れの中にいる。
一応断っておくが、もちろん私は人間だ。
2本の足で立っているし、服も着てる。平日はネクタイだって締めている一端の社会人だ。
「メェ〜!」
空腹でやや気が立っているのか、この日初めて出会ったモフモフのお友達たちは
おそらく普段より強めに、積極的に鳴きながら草の山に顔を突っ込んでいらっしゃる。
今置かれているこの状況をもう一度整理したい。
ことの発端はいつかの夜。その日のタスクを何とか終えて、
少し遅めに会社を出た私はネクタイを少し緩めて、
一杯やりたい気分で街をさまよっていた。
少し小腹も減っていたので軽く食事もできそうなところで……と、
初めて入った店で出会ったのが「マスカットベリーA ブラッククイーン」なる赤ワインだった。
しっかりとした味わいの中になめらかさもあって、とにかく香りが素晴らしい。
スパイシーで、ちょっと土の匂いもするような気がする。それでいて野暮ったくない、上品な感じだ。
そうなってくると、この朴訥したネーミングに俄然興味が湧いてくる。
名子山。調べてみると山形の赤湯のあたりにある山らしい。
前に急な出張が決まって東北へ行った時に新幹線で通り過ぎた駅だが、降りたことはなかった。
私が新卒で今の会社に入ったのもすでに遠い記憶で、気づけば中堅などと呼ばれるキャリアになっていた。
入社当初はここで自分にしかできない仕事をやってやる! と意気込んでいたものだが、
今は自分が組織の歯車のひとつに過ぎないという自覚は持っている。
それなりに仕事にやり甲斐は感じているが、どこか満たされないような感覚と折り合いをつけながら、今日まで来てしまった。
とは言え、それなりに責任というヤツもあるので、必要とあらばそんな無茶な出張だってこなすワケだ。
端から見ればきっと社畜ってヤツなんだろうな。
そんな私がたった数杯のワインをきっかけに興味を持った山形の地を訪ねた結果、
家畜に囲まれている。今ココ。
でも待ってくれ。私が見に来たのはぶどう畑だ。なぜこんな四足獣たちがここにいる?
訝しげに視線を向けた先にいる、ひとりの男。
名は酒井一平。酒井ワイナリーの当主で、件のワイン「マスカットベリーA ブラッククイーン」を醸造している張本人だ。
この酒井さんの下を訪ね、ワインを飲んだ時の感動を伝えて「ワインができるまでを見せて欲しい」と頼んだら、ここに案内されたのだ。
置賜盆地の北部、鳥上坂の北側にある南東向きのこの畑。現在では栗や小楢と行った木が繁っているが元は金銀の鉱山だったそうで、今もツルハシを使わないと掘れないくらいに地盤は岩っぽく、その分水捌けがいいのが特徴なのだそう。
“鳥も上れぬ鳥上坂”に由来するというその名の通りの急斜面、上からの眺めはなかなか壮観だ。しかし、この傾斜じゃ草刈り機も使えないだろう。
実は先の羊たちは、ぶどうを育てるこの畑に定期的に放牧され、草を食べさせるために酒井ワイナリーで飼われている立派な従業員なのだ。
「自分のワインのつくり方として、無意識でありたいんです。それを目指しています」。
そうつぶやく酒井さん。無意識にワインをつくる? どういうことだろう。それと羊に、どんな関係が?
酒井ワイナリーが創業したのは今から130年も前、明治25年のこと。
一平さんは5代目当主で、東京農大を卒業後の2004年に地元の赤湯へと戻り、家業を継いだ。
その頃の酒井ワイナリーは多くのワイナリーがそうであるように、酸化防止剤の亜硫酸を利かせ、雑菌が無い状態で優秀な酵母を摂取させるというオーソドックスなワインづくりを行っていたそうだ。
「実際にワイナリーに入るまで、そういう通り一遍のワインづくりに対する疑問も持ってなかったし、それを意識することもありませんでした。私は昔から5代目として、ほとんど洗脳に近い状態で育てられたんです。『いずれお前が社長になるんだぞ』って言われて、そのために高校に行って、大学に行って。でも、実際に家業に参加してみたら……面白くなかったんです」。
当時から酒井ワイナリーのワインは一定の評価を得ていたし、そこにはファンも少なくなかった。2005年には叔父が管理していたここ名子山の畑を買い取って、100%自社畑として運営するようになっていることを見ても、先代がワインづくりに熱心だったのは間違いない。しかし、ただ美味しいワインをつくっているだけ。若き日の酒井さんにはそう見えた。
「原料ぶどうを殺菌して好ましい状態に加工するってやり方は、自分とぶどうとワインが繋がってる気がしなかったんです。ぶどう畑までつながっているという実感が」。
そんな疑問を抱えつつ、醸造家たちの勉強会には積極的に顔を出していた。色んな人たちの話を聞いてゆくうちに、今までのやり方は自分にとって好ましいものではないと酒井さんは考えるように。
「トドメはビオディナミの農場に行ったことでした。そこでは色んな生き物が渾然一体となっていて、農場というひとつの生き物として存在していました。その感じがすごく良くて、自分もその一部になりたいと思ったんです」。
そうして羊を飼い出し、その翌年にはそれまで続いた慣行農法から無農薬でのぶどう栽培に切り替えた。そうして少しずつ、しかし確かに変化を重ねていった結果、自分自身が自然の一部として生きることの心地よさを酒井さんは実感するようになった。
「私は映画監督の押井守に影響を受けていて、彼が言ってたんです。『人生にテーマを持つべきだ』と。自分としては、揺るぎない存在になりたい。それを人生のテーマ、勝利条件として持っています」。
揺るぎない存在。それが酒井さんにとっては自然であり、その一部として生きることに彼は光明を見出した。
「人の感想だったり、人間そのものっていうのはすごく変わりやすいじゃないですか。自分自身も20年後にどうなっているかはわからないですし。主義主張や思考も変わって、耳は遠くなって香りの感じ方も味の好みも変わってるでしょうから。その中で揺るぎないものを求めると、人間以外のところに寄り添うしかないなと思ったんです。人間よりも長生きするぶどうだったり、寿命は短いけど群れとして長く存在していく羊だったり、それ以外の動植物という存在が自分にとってはすごく重要なんです」。
酒井さんのその言葉を聞いてハッとした。
周囲の評価や上司の機嫌ばかりを気にしてきた自分に改めて気付かされたからだ。
同じ仕事をしてたって、褒められる時もあれば素通りされる時もある。
全部、評価する側の気分次第だ。
そうして人の顔色を伺うことに長けるほど、自分らしさは遠のいていった。
大人として必死に身につけて来た自分のそんな渡世術が、不意に無意味に思えてくる。
コロコロ変わる人間じゃなく、もっと大きな自然に身を委ねる。
そこに意味を感じた酒井さんの気持ちが少し分かった気がした。
しかし、彼は自然は不変だと言っているわけじゃない。むしろその逆だ。
「万物流転という言葉がありますけど、不変のものは何かと考えた時に、変化そのものだと思ったんです。唯一不変のものは、変化する自然そのもの。それが揺るぎないように、私には見えたんです」。
忘れそうになるが、今いるここは山の急斜面にあるぶどうの畑で、近くには羊の群れ。メェ。
そんなのどかな光景の中で、確たる論理を説く酒井さんの姿が何だかおかしく思えた。
でも、そこに嘘は無かった。
自分のワインづくりについて淡々と話す酒井さん。淀みのない物言いから、それが何度も自問自答をした末に選び取った選択肢なのだということが伝わってくる。無作法にも、私は無意識のうちに彼に尋ねていた。その生き方は幸せなのか、と。
一瞬面食らったような顔をしたけれど、酒井さんはまた落ち着いた表情に戻るとすぐに答えてくれた。
「自分としては、100点満点です」と。
「品質的には改善の余地は色々とあるでしょうけど、自分としてはやりたいことをやれているので。常に全力でできるようになった時点で、自分にとっては100点だと思っています。毎日同じことをしているようで、実際は1日として同じ日は無いし、飽きが来ない。やるべきことを見つけてやれるようになった時点で、幸せなんだなと思えました。自分は多分、一生倒れるまで畑にいるでしょうね」。
そうつぶやく酒井さんの顔に、傲りや誇張の色は無い。
なるほど。この人がつくるワインが他と違う理由が少し見えた気がする。
しばらく話していて分かったことがある。この酒井さん、ロジックは明確だけど考え方は柔らかい。
その後、酒井ワイナリーで使うぶどうの品種の話題になると、それはより明らかに。
「カベルネソーヴィニヨンはすごく良い。でも、だからって自社の畑をそればかりにするんじゃなく、甲州も残していきたいという気持ちがある。マスカットベリーAもこれからさらに進化させなければいけないと思いつつ、病害虫に耐性のあるピノタージュ、シラーを入れよう、プチヴェルド、プチマンサンを入れようとか、アルバリーニョを入れようとかっていう風に新しい品種に関してもうちは貪欲だと思います。先ほど言った万物流転の考え方からすれば、変化し続けながらその時、その場の最良を見つけ出すことができれば良いはずだから」。
昨今取り沙汰されているように気候変動は本当に深刻で、特に農業においては同じ場所でも5年前と今ではまるで環境が違ってくるというのは、よく聞く話だ。
さらに同じ品種のぶどうであっても、収穫する年によって質や風味は大きく変わってくる。
「なので、設計することはもう止めました」と言い切る酒井さん。そしてこう続ける。
「意識的に作ろうとすれば、例えばカベルネソーヴィニヨンであればその香りを出すためにこの酵素の活性を持つ酵母を培養しようとか、果皮から多く色素を抽出できるような品種の酵母を培養しようとか、っていうやり方もあります。だけど、自分としては植えられたぶどうから得られたワイン、得られるワインをつくろうと考えています。収穫日に関してもこの品種はこの日と決めることもしないですし、混植・混醸します。ベースの品種はあったとしても、ありとあらゆる品種・年代のもの、それこそヴィンテージのものが入ることもあります。でもそうやって様々なものが組み合わさった時、複雑でもはや判別することさえできなくなったような状況の時にこそ、その土地の個性は現れると思っています。意識して設計すると、きれいでわかりやすくはなるけど、土地の個性からはどんどん遠かっていくんです。だから、無意識になりたいなと」。
酒井さんの言う無意識のワインづくりとは、極力人間がコントロールをせず、自然の営みの産物としてワインをつくるということなのだろう。
その場所、その時代によって異なるワイン。まったく同じ条件の環境が存在しない以上、当然ふたつとして同じワインは存在しないワケだ。
「単一品種でこういう味わいです、というよりも酒井家がこの地でずっと続けていますよっていう方が良いんだと思っています。その中のひとつがこの畑のある名子山というところで……っていう説明をして、お客様が『あぁ、あそこね』と思えるような。その結果でいただく反応が『最近変わったよね』でもいいですし、『ずっと変わらないよね』でもいい。あそこの場所だと言われて、ピンとくることが重要なので」。
ワイン通がよく、「テロワールが……」なんて饒舌に話すのを目にしてはいたが、手垢のついた定型文の賛辞として聞き流していた。その意味がこの時、初めて分かった気がする。
「ワインの特性って土地と一緒に語られて、飲まれる方も味をそことリンクされるんですよね。それがすごく面白い食品だなと思っています。まぜこぜワインもそう。どんな品種がどれくらい入っているのかわからないけれども赤湯らしい、というのが無意識の中に見えてくる。だから色んなものの変化を受け入れることは、ウチとしては全然問題無いんです。新しいものも古いものも躊躇なく受け入れて、場合によっては壊すこともできる。その上で実は不変のものが存在するんだっていう、その確信があるから」。
微生物を殺さない無農薬のぶどう栽培、機械ではなく羊に自由に食ませることでの草刈り。一見時代に逆行するかのようなこれらのやり方は、人間が極力手を加えず、自然に近い……つまり無意識なワインづくりをするために必要な選択だったのだ。今の酒井ワイナリーは酒井さんの言葉を借りると「野蛮な時代」。効率や安定を捨てて、より自然に近い環境をつくってきた。「そこから洗練させていかなきゃいけません」と彼は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
ひとしきり腹を満たしたのか、畑で丸くなってダラダラしているモフモフフレンズに別れを告げて、温泉街の真ん中にあるワイナリーへと戻ることにした。
酒井さんが招き入れてくれた醸造所には、きれいに手入れされたタンクが並んでいた。今はホーローとステンレスが混在しているが、徐々にステンレスへの移行を進めているのだそう。その傍にはそうした新しい設備とは不釣り合いの、古びた櫂入れ棒が。聞けば栗の木でできたもので、約50年前、酒井さんのおじいさんの代から使っているものだそうだ。
「ワインを発酵させる酵母っていうのは色んなところにいて、ぶどうの房の中にも畑の中にもいるし、ワイナリーの中だったら殺菌できない木材とか、こういう古い道具に潜んでいます。昔は醸造用に培養した酵母も使っていましたから、今もその影響もあると思います。それをどこまで独自のものと言えるかはわかりませんが、そういう部分も含めて酒井ワイナリーが歴史を積んでいくことで、個性ある微生物層になっていくんじゃないかなと思っています」。
醸造所の横には樽を保管する貯蔵庫があった。明治7年に建てられたという年季の入った土蔵で、新しい設備にすることも考えたというが、「それもうちの歴史、個性だから」と酒井さんはそれを維持している。
先人が積み重ねて来たものと、これから作っていくもの。その両方をきっと彼は見ているのだろう。
「今はポンプもあるし、ぶどうを搬出するための運搬車もある。だけど、昔はあの畑の斜面を40キロとか50キロのぶどうを背負って登り降りしていたそうで、100年前の人たちは本当にすごいなと思います。その人たちのおかげで今、僕はこうしてやれている。自分があそこの畑にかける執念も、人との繋がりが無かったら生まれてないと思うし、自分がただ別の地方から来ただけの人間だったらおそらくここではやってない……やれないと思います」。
酒井さんの口調は相変わらず淡々としたものだったが、その表情はどこか綻んで見えた。
ふと時計に目をやると、帰りの新幹線の時間が近づいていた。
酒井さんに簡単にお礼だけ済ませて、バタバタと慌ただしくワイナリーを後にする。
東京に戻ったら、また明日からはこれまでのように組織の歯車としてあくせく働く日々が待っている。
だけど、今は不思議と気持ちが軽い。
私たちは誰しもが、もっと大きな流れの中にいることを羊たちが教えてくれたからだろうか。
人のまばらな帰りの新幹線。
何だ、これなら指定席を取る必要も無かったなと思いつつ、隣の空席にかばんを置いた。
手元には出際に買ったボトルが1本。ラベルにはやっぱり「マスカットベリーA ブラッククイーン」の文字がある。
ほんの数日前に一度飲んだ銘柄。でも、今はまた違う味がするんじゃないか。
何故かふと、そんな気がした。
< 写真:谷口 京 / 文:今野 壘 >