東部の歴史
東部に入植した人々は、この新大陸がワイン生産に向いていると思ったに違いありません。なぜならそこには森でたわわに実をつけている、見慣れない野生の甘いブドウが自生していたからです。それらはヨーロッパ系のブドウ(ヴィティス・ヴィニフェラ系)とは違い、アメリカ系の品種(ヴィティス・ラブルスカ系など)でした。
しかし、そのような期待とは裏腹に志のある人々にとってワイン造りは試練の連続でした。ワイン造りのために持ち込んだヨーロッパ系の品種が次々と枯れていったのです。当時、原因は不明でした。初代大統領のワシントンは問題解決に取り組み、三代目ジェファーソンはフランスのワイン産地へ視察に赴いてイタリアのトスカーナから専門家を招いたほど熱心でした。
実はこの辺りの土にはヨーロッパ系品種の天敵フィロキセラ(ブドウ害虫)が住んでいました。さらに南側の蒸し暑い夏、東側のヨーロッパでは知られていなかったブドウの病気、北側の厳しい冬はヨーロッパ品種に追い打ちをかけました。
アメリカ原産の品種にはこうした障害のすべてに耐性があったため問題ありませんでしたが、アメリカ系品種から造るワインには「フォクシーフレーバー」(狐臭)と評される独特の香りがあり、ヨーロッパ出身者には極めて不評だったのです。
たゆまぬ努力の甲斐あってヨーロッパ系品種とアメリカ系品種の混在によってブドウの交雑が起こると、次々と新しいハイブリッド品種が誕生しました。フォクシーフレーバーの少ない品種(アレクサンダー、カトーバ、デラウェア、イザベラなど)や、ほとんどない赤ワインを生むノートンなどがその代表です。
そして計画的に品種改良が行われるようになると、アメリカ大陸に適合する品種ができていきました。ちなみに日本でも知られている『コンコード』はそのひとつで、強いフォクシーフレーバーがありますが非常に丈夫。オハイオ州、ペン・シルバニア州、ニューヨーク州で主力品種にとなり、今でもジュースやゼリーの原料として使われています。
西部の歴史
一方、太平洋沿岸のブドウ栽培は東部とは全く違う経緯ではじまりました。
アメリカ大陸発見の当初、コロンブスのスポンサー(ローマ・カトリック教会)を後ろ盾にしていたスペイン人は16世紀にメキシコに入植しました。東部とおなじように持ち込まれたヨーロッパ系品種は、温暖で穏やかな気候によってまずまずの成功をおさめます。
最初に持ち込まれた品種はスペイン(カスティーリャ・ラ・マンチャ州)原産のListan Prieto(スペイン本国ではフィロキセラ被害でほぼ消滅)という品種で、メキシコの布教施設の呼び名から『ミッション』という名前がつけられて広まりました。アルゼンチンで「クリオチャ・チカ」、チリで「パイス」と呼ばれている品種はこれと同じです。
ヨーロッパ系のブドウがメキシコのバハ・カリフォルニア地区に根付いたのち、200年後にサンフランシスコ修道会が北上。1769年に宣教師フニペロ・セラがカリフォルニアで最初のブドウ畑を開墾したといわれています。
東部の大西洋側で起きたような問題は、新しく見つかった「ピアス病」を除けば何もありませんでした。ヨーロッパ系のヴィティス・ヴィニフェラはついに「約束の地」にたどり着いたのです。ジャン=ルイ・ヴィーニュがミッションよりも優れた品種をヨーロッパからカリフォルニア南部に持ち込み、ゴールドラッシュで西部に移住者が増えた時代だった背景が手伝って1850年代のカリフォルニア北部はブドウ畑一色になりました。カリフォルニアは1880~90年代に初期の黄金時代を迎えて急成長しました。
その後はヨーロッパと同様にうどんこ病や東部から広まってきたフィロキセラによって畑は壊滅しましたが、アメリカ系品種を台木にする対処方法が見つかったことで再建されました。
成長するアメリカワイン
こうしてアメリカの東西には異なる2つのワイン産業が根付いていきました。概して現在の北アメリカではワイン産業が勢いよく成長しています。アメリカ合衆国は世界で4番目のワイン生産国で、消費量は世界一になりました。注目されている東西両海岸のワイン産地から今後も目が離せません。
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参考 ヒュー・ジョンソン、ジャンシス・ロビンソン/『世界のワイン図鑑 第8版』/ガイアブックス/2021年 ヒュー・ジョンソン、ジャンシス・ロビンソン/『世界のワイン図鑑 第7版』/ガイアブックス/2014年 一般社団法人日本ソムリエ協会/『日本ソムリエ協会 教本2024』/一般社団法人日本ソムリエ協会(J.S.A.)/2024年