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- フランス ボルドー
シャトー・プリューレ・リシーヌ
Chateau Prieure Lichine
「ワインの法王」と呼ばれた、アレクシス・リシーヌ氏が復興させたシャトー
修道院で始まったワイナリー
12世紀にヴェルタイユ修道院の僧侶たちによって興されたカントナック小修道院は、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン北部ガリシア州の州都。聖ヤコブの遺骸があるとされる)へ向かう巡礼者達の宿泊地として知られていましたが、素晴らしいワイナリーも所有していました。当時、評判の高かった彼ら『プリューレ・ド・カントナック』のワインは1444年の資料では、エルミタージュやクロ・ド・ヴージョといったワインと同じ高い評価額であったと記載されています。この影響により、カントナック地区でブドウ栽培をする者が増えました。そして、シャトーは1855年のメドックの格付けでは見事4級に格付けされました。
19世紀末のフィロキセラ、ベト病などの被害の影響もあり、ボルドーでもシャトーを売却する者が相次ぐ中、プリューレは、パリ人のヴィクトール・ルール(Victor Rulh)氏が1886年からワイナリーを立て直し、1903年に亡くなるまでオーナーを務めました。その後は、いくつかのオーナーを経ていきます。
1951年に「ワインの法王」と呼ばれたアレクシス・リシーヌ(Alexis Lichine)氏がシャトーを購入。2年後に彼の名が付けられ、シャトーはシャトー・プリューレ・リシーヌになります。彼が購入した時には、畑は4haにまで減っていました。
彼はさっそく畑の再建に取り掛かります。直後の1956年に壊滅的な霜の害を受けるなどの苦難もありましたが、根気と忍耐をもって、畑を全く新しいテロワールに作り変え、畑を買い足し、設備を一新し、建物も再建しました。彼は、素晴らしい醸造家であり、テイスターであり、疲れを知らないボルドーのアンバサダーであり、彼の書いたワインの本は広く普及しました。そして、1989年彼は亡くなります。
現在はバランド・グループの所有であるドメーヌは、歴史を引き継ぎつつ、2012年には8ha拡大させ畑を78haとしました。また、新しい醸造設備も建設され、チームは前進を続けています。
年間平均生産量
192,000本(2018年時点)
コンサルタントにはステファン・ドゥルノンクール氏
土壌はギュンツ氷期起源でピレネー山脈由来の堆積する砂利質です。その恵まれた細かく多様に分かれた区画をいかに管理するか、あるいは、テロワールの価値を十分に表現するにはどうすればいいか、シャトーのチームは一丸となって、こういった課題に取り組んでいます。
栽培品種は、カベルネ・ソーヴィニヨン50%、メルロー45%、プティ・ヴェルド―5%と、マルゴー地区の性質に合わせ、メルローの比率は高めです。
発酵は大小様々な15基のコンクリートタンクと10基のステンレスタンクを使って行います。発酵時は出来るだけ優しく抽出を行うようにしています。ファーストラベルに使う予定のワインはマロラクティック発酵を新樽のバリックで行います。
熟成中は常に試飲を行い、状態に合わせて、マイクロオクシジェネーション、クリカージュ、バトナージュを行っていきます。
一時は4haまで減った畑
【シャトーのラインナップ】
ワインは、ファーストラベルのシャトー・プリューレ・リシーヌに加えて、セカンドのコンフィデンス・ド・プリューレ・リシーヌ(Confidences de Prieure-Lichine)、ル・ブラン・ド・プリューレ・リシーヌ(Le Blanc de Prieure-Lichine)、ル・クロシェ・デュ・プリューレ(Le Clocher du Prieure)を造っています。
「ワインの法王」と呼ばれたアレクシス・リシーヌ氏は1972年にセカンドワインを造り始めました。当時は、現在と同じ名前のコンフィデンス・ド・プリューレ・リシーヌというラベルと、シャトー・ド・クレールフォン(Clairefont)というラベルの両方で販売されていました。