- フランス ボルドー
シャトー・ボネ
Chateau Bonnet
ボルドーの偉大な人物の一人、アンドレ・リュルトン氏の原点
アントル・ドゥ・メールの中で常にトップクラスの品質を保つ
ハイ・コスト・パフォーマンスのシャトー
名門アンドレ・リュルトンの原点
ボネのブドウ畑に初めて植樹されたのは16世紀、リブルヌの裕福な商人レイニエ家によって行われました。彼らは荘園領主の邸宅を1560年に購入、大規模な区画整備を行い、森をブドウ畑へと植え替えていき、わずか30年でその景観はガラリと変わりました。1653年には60トノーのワインを生産していたと記録があります。その後多くの所有者の手に渡ったのち、アンドレ・リュルトン氏の祖先、レオンス・ルカペ氏がシャトーを引き継ぐことになります。
レオンス・ルカペ氏はブランヌ(サン・テミリオンの対岸に位置)近郊で酒類製造業を行い成功を収めていました。彼は新たな事業としてワイン造りに着手しました。1897年、類い稀なる洞察力、先見の明があったレオンスが競売でシャトー・ボネを競り落とします。19世紀に立て続けに起こったベト病、ウドンコ病、フィロキセラに苦しめられたボネでしたが、実験用の区画を開き、健康なブドウへの植え替えを行うなど、レオンスは非常に積極的に対策を講じました。わずか数年のうちに酒のブレンダ―から非常に優れたワイン商人へと転身しました。
あっという間にシャトーの周りにはブドウ樹が植えられ、その面積は120haにも及びました。同時に建物の改修も行われ、雄大な田園風景が眺められる立派な塔が建てられたり、新しい醸造施設や美しい庭も完成しました。彼のシャトーへの深い愛情によって、ボネは地域で最も優れたブドウ園へと成長します。そして1953年に彼の孫、アンドレ・リュルトン氏にシャトーは引き継がれます。
20世紀初め頃に改修を行った美しいシャトー
ボルドーの歴史を動かした巨人 アンドレ・リュルトン
ボルドーワインを生業にしている者で彼の名を知らない者はいないと言っても過言ではない、それほどに重要かつ偉大な人物が、アンドレ・リュルトン氏です。
彼は1924年、ここグレジヤック村のシャトー・ボネで生を受けました。第二次世界大戦では15歳という若さにも関わらず志願兵として従軍し、1945年の終戦までその身を戦火に投じました。戦争が終わるとグレジヤックに戻り、シャトー・ボネで父フランソワの手伝いを始めます。1953年に一番下の弟ドミニクが18歳になったのをきっかけに、フランソワの所有地は4人の子どもに分割相続され、長男であるアンドレは最も慣れ親しんだシャトー・ボネを継ぐことになります。しかし当時のボネは、わずか30ヘクタールばかりしかなく、畑はかなり荒れ果てていました。しかし祖父譲りの類い稀なるワインに対する才覚を持ったアンドレはこれの立て直しに成功、さらに落ちぶれたシャトーを次々に購入しては再建し成功を収めていきます。その中にはラ・ルーヴィエール(1965年)、クーアン・リュルトン(1972年)、ド・クリュゾー(1973年)、ロッシュ・モラン(1973年)など、今や世界的にも人気の高いシャトーが名を連ねています。
アンドレ・リュルトン氏の功績はワイナリーオーナーとしてのそれにとどまらず、アントル・ドゥ・メールのワイナリー組合長や、ジロンド県農林水産部組合の副会長、ブランヌ農業連合会の創設者、グレジヤックワイン醸造研究情報センターの創設者、ボルドー&ボルドー・スペリュールワイナリー組合副組合長、CIVBディレクターなど数多くの経歴を持っています。特に有名なものには、1987年にグラーヴの独立アペラシオン「ペサック・レオニャン」の設立に尽力したことが挙げられます。素晴らしいワインを造るだけではなく、ボルドーワイン全体の地位向上に大きな働きをした偉大な人物です。
オーナー 故アンドレ・リュルトン(1924-2019)